My brain tumor surgery ended without any problems.
45歳になった次の日の9月24日、大阪市内の総合医療センターに入院した。
ホルモン負荷試験や造影MRI等を受けながら暇な毎日を過ごし、29日に手術。
『前身麻酔を掛けられると5秒もしない内に意識が無くなって、気が付いたら手術なんて終ってるよ!』と友人から言われていたのであまり怖くなくなった。
29日AM8:45~手術室へ入ると手術台とサージカルステンレスの恐ろしい道具類を見て流石に恐ろしくなった。
直ぐに麻酔を掛けられるが、私は意識がなくなるまで何秒耐えられるか挑戦しようと想っていた。 しかし5秒もしない内に意識が無くなった・・・
突然たたき起こされる! 何が何だか解らない状況??? 目が回ってる。
苦しい・・・手術室からCT室まで運ばれている。回りの景色が流れる様に感じる。
CTを撮るとそのままICUへ。沢山の人が私に話しかけて来る。
『目は見えますか!? この指何本に見える!?』 『名前を言ってみて!』
ぁぁ・・・・・、煩い・・・・・
段々意識が戻ってくると今度は激しい痛みに襲われる。
今まで味わった事の無い頭痛と吐気。私は『痛い痛い痛い!死ぬほど気分悪い!』
と叫んでいた。 直ぐに痛み止めと吐気止めを投与されると激痛は僅かな痛みに変った。 実は麻酔が覚めて一番強く想った事がタバコ。 私は『タバコ吸いたい・・・』と云ったが無視された。 横を見ると妻が居た。
ICUの時計を見るとPM16:00、妻に『もういいから帰れ』と云う。
幻聴なのか、ICUの中で激しいビートで妖怪ウォッチの歌が永遠に流れている。
PM20:30、鎮静剤を投与され再び意識が無くなる・・・・・
9月30日、朝目が覚めると痛み止めと鎮静剤のせいか意識が朦朧とする。
が、激しい便意を催す。ナースに『トイレに行く』と云うと『ICUに居る間はここでしてください』と云われた。 糞を人に、しかも女性に処理して貰うなんて有り得ない。 私はナースに『何時ICU出れる?』と聞く。 『朝ごはんを食べれたら先生に聞いてみます。朝ごはん食べれますか?』と云われる。
私は無理矢理朝食を食べて『もう大丈夫やから先生に病室へ移す様に云ってくれ』と頼む。 お腹がパンパンに張って我慢の限界。しかし絶対にICUで糞なんて垂れられない!早くしてくれ!
鎮痛剤は効いているが頭痛は続き上顎がパンパンに腫れ舌がカラカラに乾燥している。
ナースが私の身体を拭きに来てくれたが、触られるのが嫌だったので『顔と胸以外は拭かなくていい』と云った。
暫くしてからナースが先生の許可が出たので個室へ移しますと云われた!
やった!『早く!早く!漏れるから!』
AM10:30、待望の病室へ運ばれる。
病室に移ると直ぐにトイレに行こうとしたがナースに『危ないからダメ!』と叱られる。 私は『行ける!大丈夫やから!』と強引(必死)にトイレに飛び込む。
左腕には静脈の点滴、右手には動脈の点滴。 そしてカテーテルに、心電図のコードが沢山付いててトイレに座るのに四苦八苦したがようやく開放された!
しかし何も出ないではないか・・・! 単にガスが溜ってお腹がパンパンに張っていただけであった・・・ なんじゃそりゃ! 屁くらいならこいてやったら良かったわ!
相変わらず頭が割れそうに痛かったが座ったり歩ける自身があった。こんなじゃトイレも座れないのでカテーテルを外してと頼んだ。 しかし、最低夕方までダメだと云われる。 私は『先生に頼んでくれ、ホンマにイケルから』と頼んだ。
しばらくしてから今回手術をしてくれた脳外科部長の先生が私を見に来てくれた。その時私はベットに寝ておらず座っていた。先生は『まだ24時間も経っていないのに凄い!このオペをした次の日にこうして座っている患者は初めてだ。凄い生命力だ!』と驚いていた。 もし昼食を8割以上食べれたらカテーテルと点滴を外してもイイよといわれた。当然、完食。 直ぐにナースが静脈と動脈の点滴を外してくれた。
そしてカテーテルを抜いて貰う。 これが地獄の痛み。私は悲鳴を上げた。
ナースの偉い人?が駆けつけて来た。私の悲鳴が女性の悲鳴に聞こえたらしい。
余りに痛いので休憩しながら10分程掛けてカテーテルを抜いてもらった。
ついでに心電図を携帯型のものに変えてくれた。『中村さんジッとしてられないでしょ? でも勝手に歩き回らないでよ!』 なんて気の利いたナースなんだろう。
もう私の身体を拘束するものは何も付いていない!
PM16:00、術後24時間経った。 もう直夕食だが味が薄い病院食、量も少な過ぎる。 私はナースに売店へ行きたいと申し出たが却下された・・・
またしても強引にワガママを云って、ナース同伴なら可能だと許可を得た。
売店で海苔と醤油、マヨネーズにお菓子等を買って千円を使った。
後にこの買い物を後悔する事になる。
売店で買い物を済ませるとナースにご飯の量を増やしてくれと頼んだ。大盛の更に上、特盛(300gが限界らしい)。
夕食を全部食べて、買ったお菓子も全部食べてしまう。 ああ、タバコ吸いたい。
もう我慢出来ない・・・ 私のニコチン依存度は相当なものらしい。 これだけ頭が痛いのにタバコを吸いたくて我慢が出来ない。 入院前にタバコをやめると誓ったが手術前に隠れてタバコを吸っていた。 手術後麻酔が覚めた途端にタバコが欲しくて堪らなかった。 これは根性では辞められないな。
Hospital diet was not delicious at all...........=3=3=3
これが私の食べていた病院食。 これはいったい何なんだろうか。
毎食必ず人参が入っている。私は人参を食べれない! メインディッシュが南京の煮物だった日は地獄であった・・・・・・・・
でも慣れると苦にならなくなった。毎日採血され粗食を食べていると身体の中が浄化される様な感覚になって嬉しくなった。
もう肉なんて食べたくないし酒も別に要らない。 でもタバコは吸いたいナァ・・・
ホルモン負荷テスト・・・
これが退屈で仕方無い。朝から絶食させられ昼前くらいからホルモン負荷テスト。
気分が悪くなる謎の薬液を投与され絶対安静のまま30分おきに採血される。
絶食の上2時間も動けないのは面白く無かったな。
ICUを出て個室に移って3日後に相部屋に移された。ここから
新たな地獄が始まる。 4人部屋に移ると同室の二人の親父が
だんぢりの話をしているではないか!
だんぢり新調がどうだとか、自治会がどうだとか話し合っている。ここは大阪市内だぞ!?
何で此処に来て泉州人が居るのだ!? 面倒臭くなったな・・・親父達はどうやら貝塚市の山手らしい。私の住む和泉市からは離れた市だが、だんじりを自町に持つ泉州人は全ての市町のだんじりを知っていて誰かが何処かで繋がっている。入院してまでだんじりや自治会の話なんかしたくないので、私は聞かれても惚けるつもりでいた。 が、早速話しかけられた『兄ちゃん、どっから来たんや?』 しかも話していく内にその親父は私の取引先の社長の叔父ではないか・・・!!!
はぁ~・・・ここに来てまで気を使わなければならないとはなぁ=3=3=3
しかし新たな地獄とはこの事ではない。 この日、私と同じ日に相部屋に移って来た大人しい無口な親父が地獄の一丁目なのである・・・・・・・・・!!!!!
イビキ・・・・とんでも無くえげつないイビキをかくのである。 まるで爆竹の様な、いや爆発が起こった様なイビキであった。 夜中に別の親父が『ウルサイのぉっ!! 寝られへんやんけ!』と怒鳴っていた。
翌朝、私も他の親父も寝不足でAM4:30頃から起きていたが、爆発イビキの親父は何事も無かった様に7時頃までスヤスヤ寝てた。
他の親父はナースの詰所に爆発イビキ親父の苦情を云いに行っていた。 私は次の日から痛み止めに加えて強めの睡眠薬を戴いて退院まで凌いだ。
退院の前日の所持金。
手術の次の日にナースに付き添ってもらい売店で千円使った事が後にこの買い物を後悔する事になると云うのは¥銭の事である。
手術後のICUに居る間、荷物は預かれるが貴重品は預かれないので一旦持って帰る様に云われた。しかし『2千円までなら預かれますよ』と云われたので、現金2千円とTVカード(千円分)をナースに預かって貰い、財布は妻に持って帰って貰った。しかしその後、妻には病院へ来るなと云った。 私の住む家から病院までは往復するだけで4時間半を要する。電車賃も勿体ないし家には小さな子供も居るのだ。 故に残った2千円とTVカードで入院生活を送る決意をした。
最初に千円使ってしまったので残り千円とTVカード。 毎日の唯一の愉しみは¥217-のスターバックスのコヒー。それをチマチマ一日掛けて飲む。
そしてタバコ。 苦しくて苦しくて・・・手術の次の日に個室に移ってからタバコを吸いたくて喘いでいた。 やめれない・・・もう無理だ。吸わなくても病気になる時は病気になる。それよりもこの苦しみのストレスの方が身体に悪いのではないか。
自分に都合の良い解釈をし、そして決意する。 ナースに当日の採血等のタイムスケジュールを聞き、見付からない様に私服に着替え静かに病室を抜け出して外のコンビニへ行った。 頭はガンガンしてやはりふら付く。 コンビニでタバコを買った時は達成感に酔いしれた。 直ぐに病院の横の公園でタバコの煙を燻らせ味わった。 あぁ・・・・何て旨いんだ。
所持金は¥500円を切ったのでTVカードを現金化したら千円になった。
毎日1本の\217円のスターバックスのコーヒーを買うと退院まで持たないのでランクを落として¥170円のコーヒーにし、タバコの残量を計算しながら吸った。
入院は術後2週間と云われていたが、術後一週間後には造影MRIやホルモン試験等のスケジュールを全て完了していたので『先生、自宅安静するので帰らして下さい』と頼み込んで早めに退院させて貰った! 強引に退院する事になったが、退院の前日の所持金は¥184円。 ¥170円のコーヒーを買い残りのタバコは3本。 あ~何とか乗り切れた。 このギリギリのサバイバル感が快感であった!
今回の脳下垂体腫瘍手術は、開頭手術はリスクが大き過ぎるので経蝶形骨洞手術を行った。 なので全ての下垂体を取る事は出来なかった。 このケースの場合19%の患者が3年~5年後に再び同じ手術を行っているらしい。 先生はまた腫瘍が大きくなったら同じ処置をするかガンマーナイフで焼き取る方法を考えていると云ってた。 私はこんな痛い想いは二度としたく無いが、今回の手術で視界が完全に回復し、かつて老眼だと想っていたものまで治ったことに満足している。眼鏡無しで本を読んだり携帯の文字を読めるなんて最高の気分である。 もし開頭術で下垂体を全摘した場合は一生ホルモンを打ち続けなければならなかったし色んな合併症も発症していた。
先生の判断に感謝している。流石は神の手!
温室の植物
想像していたが、それでも辛い・・・
私が長期出張する場合は自動潅水と妻の手潅水で凌いで来たが、どうしても根腐れを起してしまう。 今回は長期入院になりそうだったし季節的にも恵まれていたので自動潅水を止め、全ての鉢を手潅水で管理する様にと妻に頼んだ。 天候や気温毎に細かな管理法を作成し種別に好む水の量を教えて入院したが、やはり難しかったか・・・・・
完全な私の判断ミスである。 やはり自動潅水に頼るべきであった。
高山性温室では恐らく何度か蒸らした様だ。スマトラ系原種は真っ黒になって全滅。ボルネオ系原種も組織の柔らかい頂芽付近が真っ黒に腐っており地際からも真っ黒に腐りかけている。復活は無理だろう。 そしてドライアウト。 水切れなら潅水すれば直ぐに元気になるが完全にドライアウトしてしまうと処置法は無い。ゆっくり枯れて行く。 小さな鉢は壊滅状態である。
慌てて腰水したけど焼け石に水。 と云うかもう枯れてるか・・・
記念にN.lowiiの上位袋の写真を撮ってみた。 私のコレクションは自分で選別した物の他にマニアに無理を云って譲って戴いた個体が多い。 貴重な一点物を譲って下さったマニアの方には申し訳無い気持ちで一杯です。
そしてこれほど落胆した事はない。 普通に売ってるクローンなら買い直せば済むけど、今回失った個体は特別なものばかり。 二度と手に入らない。
特にN.macrophyllaの実生は私が買い占めた感があるので国内にマクロフィラの実生個体は残って無い。
今回は流石にもうネペンテスを栽るのが嫌になった。 ちょっとネペンテスから離れて生き残った交配種を細々とやる程度にしよう・・・
ビカクシダは流石に強いみたいで、殆どの株が無事であった!